CHAPTER 1 – 前史 (~明治時代)

1.江戸時代以前の花き産業

生け花のルーツは、仏教伝来とともに渡来した三具足に求めることができるといわれています。
三具足とは、仏前に供える華瓶(けびょう)・燭台および香炉の3点セットのこと。我が国の花卉栽培は、この「華瓶」に飾る花として始まったと考えられています。「華瓶」が独立して立花となり、生け花を生んだのです。

ウメなどは奈良時代から栽培され、また平安時代には白川女といわれる人たちが花を売り歩いていたようです。

2. 江戸時代の園芸文化

花き産業がそれなりに確立してくるのは江戸時代に入ってからになります。
戦国時代に確立していった茶道や華道は江戸時代に入って各々の職能集団を生み、彼らは武家屋敷などに花を持ち込みながら教え歩いたのだとか。家庭教師が教材を持ち込み、その代価を求めながら技術を広めたのです。
それはやがて都市近郊の生産者、都市部の花問屋、花問屋から花を仕入れて売り歩く花売りのように業種の分化を生み、花の流通が成立していくことになります。

また、江戸時代は元禄年間(1688年~1704年)、文化・文政年間(1804年~1830年)の平和な時代に園芸の大きな花を咲かせています。
江戸幕府の歴代の将軍が稀代の花好きだったことや大名屋敷などに珍しい植物を植えることが広がったこと、また、鎖国が長く続いて国情が安定したことなどが江戸の園芸文化を発達させたといわれています。

ツバキやツツジなどに多くの品種が生まれ、タチバナやマンリョウなどの斑入りを楽しむもの、キクやアサガオなど花の美しさやその変化を競うものなど、その楽しみ方も様々でした。
そして、このような園芸ブームは植木の生産、販売業者を育て、植木業者が集まる産地を生みました。現在の巣鴨周辺などがその代表的な地域です。

鉢植えで楽しむようになったのも江戸時代のことといわれています。
常滑で素焼き鉢を焼くようになって、それが普及したのがこの時代であり、江戸末期の植木産地には鉢植えのサボテンやアロエなどが店頭に並び、販売されていたといわれます。

このように、江戸時代の鉢物は植木生産から派生するようにして誕生し、生産直売や生産者が引き売りするまで発達しますが、切り花のように業態分化や流通の発達は後代に譲ることになります。