東京都中央卸売市場大田市場とは?

青果部・水産部・花き部からなる総合市場です。
386,000平方メートルという広い敷地に施設を効率的に配置し、5,000台分の駐車場が確保されています。周りには約6haの緑地が広がり、隣接の野鳥公園と一体となった緑豊かな市場です。
また、見学者コース、展示室、映写室などがあり、一般のみなさんにも親しんでもらえる市場を目指しています。

各種シンボルマーク

市場内の各棟には、それぞれの取り扱い品目をあらわす大きなシンボルマークが屋根に設置されています。探してみてくださいね。

花き部 花き棟
首都高速湾岸線から見えます

青果部 青果棟
タケノコ、ブドウもあります

水産部 水産棟
おめでたいタイが目立ちます

東京都/市場のあゆみ – Tokyo / Market History

大正12年9月に発生した関東大震災で、それまでにあった東京の民営20数市場は壊滅的な打撃を受けました。
この震災を契機に当時の東京市は、同年3月にすでに公布されていた「中央卸売市場法」に基づき中央卸売市場の建設に本格的に取り組みました。

その結果、昭和10年待望の築地、神田、江東の3卸売市場が開設され、その後、都市の発展、人口の増加などにより取扱量も大幅に増えたため、荏原、豊島、淀橋、足立、大森、食肉、板橋、世田谷と次々に新しい市場が開設されました。
昭和40年代高度経済成長により、市場を取り巻く環境は、出荷単位の大型化、トラック輸送の増大、食生活の多様化など大きく変化しました。

法制の面でも、このような急激な変化に対応するため、昭和46年4月「卸売市場法」が公布されました。東京都もこれらの変化に伴い、北足立(昭和54年)、多摩ニュータウン(昭和58年)、葛西(江東から移転・昭和59年)、大田(神田、荏原、大森から移転・平成元年)の各市場をそれぞれ開設し、現在、11市場4分場で業務を行なっています。

昭和63年に、東京都中央卸売市場で初めて北足立市場に併設された「花き部」は、その後の大田市場(平成2年)、板橋市場(平成5年)、葛西市場(平成7年)、世田谷市場(平成10年)の5市場に併設されました。
東京都はこれからも、21世紀を展望した市場の整備をさらに進め、環境の変化に対応しながら、都民に親しまれる近代的な「開かれた市場」づくりを目指します。

東京都中央卸売市場大田市場のあゆみ – History of Ohta Market

時は徳川幕府が開かれたころまでさかのぼる慶長年間、江戸八辻ヶ原(今の神田須田町あたり)に始まった青果市場をもととして発展した神田市場。
いくつかの卸売市場を統合して昭和11年蒲田配給所(蒲田分場)とともに開場した荏原市場。江戸時代に付近の漁師が魚貝類を持ち寄り商売したのが始まりと いわれ、明治13年に開業した大森市場。平成元年、この3市場1分場が統合され、新たに大田市場として生まれ変わりました。

花き部に関しては、城南地域にあった9つの民営地方卸売市場が統合されました。現在、ふたつの卸売業者(そのうちのひとつが我が社です)と20の仲卸からなります。

(東京都中央卸売市場/市場のしおり 1995より)