CHAPTER 2 – 花き市場の誕生
一方、地方においても次々に生花市場が誕生しています。大正15年には横浜生花卸売市場や神戸園芸組合が立ち上がり、神戸園芸組合は昭和2年に神戸花市場(後の神戸生花卸株式会社)に変わり、昭和6年には福岡花市場も生まれています。
そして昭和15年頃までに、札幌、福島、岡山、呉、下関、久留米などの地方都市にも生花市場が誕生するまでになっていました。
さて、鉢物の生産は江戸時代までその歴史を遡ることができますが、その流通は切り花同様に生産直売や問屋流通が主体でした。
また、生花市場が誕生した関東大震災の後に鉢物専門市場がいくつか立ち上がっていますが、その大半はいずれも長く続かずに消えていったといわれています。
昭和初期の鉢物といえば、サイネリアやプリムラ・マラコイデス、シクラメンなどが中心で、その産地はいまの世田谷区から大田区にかけてと、江戸川区が中心でした。それらの産地を背景にして、江戸川区にいくつかの鉢物専門市場が誕生したといわれています。
また、大田区や世田谷区の産地を背景に誕生したのが大森園芸市場であり、唯一、この市場だけが今に血脈を残しています。
大森園芸市場は大田市場に入場した卸売会社である(株)大田花きの前身のひとつであり、その創業は昭和7年です。しかし、大森園芸市場は、その後切り花を主力に扱うようになって、やがて生花市場として発達していきました。
このように、大正時代から昭和時代にかけて各地に生花市場が誕生していますが(その多くは今に引き継がれている)、これは切り花や鉢物が広く普及し始めた結果であり、また生産と流通、小売りの業態分化が進み、産業として確立した時代であったと言えるでしょう。
ちなみに、昭和14年には全国に61市場があったといわれています。